おそらはんが書く

Twitterだと文字数足りないくらいな~の事をサッと書く

事あるごとに思い出す話。

私の母は(私の主観では)めちゃくちゃ怖くて、「愛されてる」という実感を持った事がない。子供の頃は愛されてるなんて大袈裟な表現で考えた事がなくて当たり前かもしれないが、もっとぼんやりとした「この人は私を好きなんだ」「この人は私といると嬉しいんだ」「この人は私を守ってくれる人だ」「自分を受け入れてくれる人だ」「最後に許してくれる人だ」というような感覚が全くない。

 

それでも、私は母を(刷り込みのように)愛していたし、どうにか愛されないかと努力した。母は私を本当は愛しているはずだという証拠を見つけようと奮闘した。けれど、私が人生で一番辛かった20代半ばくらいの時に「今すぐ河に飛び込んで死ね。」と言われ、あぁ本当に無理なんだ、と悟った。だいぶ時間がかかってしまったものだ。まぁもっと言うと、母と関わる事によって傷付いて傷付いて傷付き続けて、その瞬間たぶん軽く死んだ。もうこれ以上、かすり傷ひとつも負えないと思った。さよなら、母。もしそう言っていたら、母は大袈裟だと笑っただろう。たぶん本人は何を言ったかも覚えていない。

 

なぜそんな悪し様に言われるかというと、私の持ってる要素のほとんどが父親から引き継いだもので、それが神経を逆撫でするらしいと子供心にも分かった。「パパにそっくり」と何度も嫌そうに言われた。小学校2年生の時に両親は離婚し、私は母に引き取られたのだけど、何か怒られるような事があると「言うこと聞けないならパパの所へ行け。2人でのたれ死ぬだろうけどね!」と言われた。小学校の頃のテストはほぼ全て100点だったし、中学あがっても偏差値は上位2%くらいだったはずだけど、褒められた記憶がほとんどない(ちなみにパパも勉強は出来たらしく、成績が良いのも「パパに似て」だったりする)。小学校に入りたての時、学校でいたずら騒ぎがあった。犯人が私を犯人として告発したため、母親が呼び出された。私じゃない、犯人はその告発したやつだと言ったが信じてもらえなかった。いたずら内容について、そんな事をするなんてお前は頭がおかしいと詰られた。小学校生活がそんなスタートだったため、この子はおかしい!というのが強く母に刻まれたような気がする。怒られる時は、些細な事を「一事が万事、お前はだらしなくてどうしようもない屑で、未来ろくな人間にならない」というような叱られ方をした。※私は(本当にその病気があるかはともかく)今で言うADHDってやつだったろうから、苦労したんだろうとも思う。その後、何かがある度に「矯正施設に入れる」と脅された。

 

そんなようなエピソードは枚挙に暇がないが、小学校生活のある日。

 

小学生の男の子が、習字の練習でじゅうたんに墨汁をこぼして自殺した、というニュースがあった。「じゅうたんをよごしてごめんなさい」という書き置きがあったらしい。そのニュースを見て、母が「そんな事で死ぬなんて!!そんなつまらない事で死なれたらたまらない」というような反応をしていた。

私はその男の子の気持ちが痛いほど分かった。分かった気になった。そんなつまらない事じゃないんだよ。そう思わせたのは親なんだよ。愛されてもいない、許されもしない自分が、何かをやらかしてしまったとして、詫びる方法がないんだよ。許される方法がないんだよ。だって、愛されてないんだもん。この後に、骨の髄まで尊厳が傷付くような責められ方や、もしかしたら物理的にいためつけられたりを、愛してる人にされるのだと思ったら、もう目の前が真っ暗になる。真っ暗闇だ。ごめんなさい。愛されるような自分じゃなくてごめんなさい。あなたを不快にさせるだけの存在でごめんなさい。あなたにひとつも利のある存在でない自分が、じゅうたんを汚すなんて詫びる方法がない。もうどうしようもない。これ以上のマイナス採点には耐えられない。消えたい。いやもうめちゃくちゃ分かる。いやその子の事が分かったわけがない。ひたすらに、勝手にシンクロした気分になり、その日からしばらく、その男の子の事が頭から離れなくなった。その子が死ぬしかないと思うに至った、日々の生活の事が勝手に想像されてしまって眠れなくなった。子供であった自分が、初めて自分で死ぬという選択肢に気付いた瞬間だった。

 

その男の子の話は、人生で事あるごとに思い出してしまう。大人になれば、誰にも愛されていない自分、なんて状態は、当たり前にある事よ。でも、何も愛さないものが愛されるわけもないじゃんねって、だからこそ色んな人や、物事を愛して生きてゆきたいなと思ったりもする。

でもさ、子供はダメだよ。今でもたまに思い出して急につらくなる。褒められず、愛されず、気に食わないところを責められるばかりで、毎日びくびくしていて、大好きな相手を嫌いになれないまま、全てを真に受けて心の一番柔らかいところをズタズタにされていく。

子供には、ママは自分を好きに決まってる、ってかそんなの考えたこともないし当たり前すぎる事で意識したこともない、って感じて欲しいよなぁ。幸せなんて、意識せず言語化せずで済んでる時が一番いい気がする。