おそらはんが書く

Twitterだと文字数足りないくらいな~の事をサッと書く

エーリッヒ・フロム

愛するということ

 

愛は「その人がどれくらい成熟しているかとは無関係に、誰もが簡単に浸れる感情」ではない。

 

と書いてあった。

私も昔っからそう思っていた。

愛するということは、訓練の結果出来るようになるものだ。今まで何も愛さずむちゃくちゃしてきた人間が、愛について真剣に考えた事のない人間が、突然愛に目覚めた「気分」になったとしても、対象を正しく「愛せる」かというと、だいたい無理。「愛」さえ持てばとてつもない万能感で何でもこなせるはずだ、愛さえ!あれば!それは全てを可能にするはずだ!それが愛しているという事だ!と謎に思い込んでる人もいるけど、そんな事はない。気合いがあれば病気にならない、くらい、無理のある話。(しかし気合いの有効性も認める)

 

その人を愛するという事は、例えば「つまらない日々の繰り返しにひたすらに耐える」事だったりもする。「君のためなら死ねる」なんて口説き文句があるが、一つも嬉しくない。一度えいやっと思いきって死ぬよりも、何年何十年と真面目に働いて、癇癪を起こさずやけにもならず、相手の事を思いやって暮らし続ける事の方がやってほしいし難しい。

私にとって、愛するという事は、「愛しているならする行動」を「し続ける事」だ。気持ちが愛していても愛してなくても、愛する。愛するというのは動詞なので、愛を、する、のだと思っている。その日の気持ちがどうあっても、雨の日も雪の日もデクノボウと呼ばれても、あなたを愛、する、という決意。

毎日ずっとずっと変わらずに好きでいられたら良いけど、そんな事はない。(私は比較的出来るほうだけど)

どんなにひどい気持ちになっても、どんなにやけくそになりたくても、その気持ちに身を任せない事。何かを大切にするという事。愛するという事。